空気に飲まれやすい日本人の考察『空気の研究』感想

日本人の習性として「空気を読んで流されやすい」という話をよく聞く。「空気が読めない」という意味の「KY」という言葉が少し前に流行ったりしていたこともあるし、不祥事を起こした有名人を一斉にたたく様子などを見ても、確かに日本人には空気に流されやすい面があるように思う。

しかしこの「空気」という、つかみ所のない概念は一体どういうものなのか? どうやって作られるのか? どういったメカニズムで人に影響を与えるのか? こういったところまで突き詰めて考察しているのが本書である。

 

「空気」はこれまで、幾度となく日本人に非合理な決断をさせてきた。その最たる例が太平洋戦争だ。

太平洋戦争において、連合国の戦力が完全に日本のそれを上回っていたのにも関わらず、大本営はなかなか降参しようとはしなかったという歴史がある。しかしこれは大本営がデータの分析を誤り、連合国に勝てると判断してしまっていたからではないそうだ。驚くべきことに、日本は敵との戦力差について理解し、勝てないと見込んでいたにも関わらず、「空気」に抗えず戦い続けたのである。

私は、日本軍が戦い続けたのは敵の強さを見誤ったからだと思っていたのでこれには驚きだった。

 

このような最悪の結果を招くこともある「空気」だが、どのようにして発生するのだろうか。本書を読んだところでは、あるものに対して何かの概念(「悪」とか「けがれ」とか)を宿して認識する日本人の習性が影響しているそうで、それが最終的に宗教のように対象を絶対化し極端な認識に至ってしまうらしい。戦争の例で言うと、アメリカ=絶対的な悪、天皇と日本=絶対的な善、というような認識だ。これがゆえに、戦争を止めるという冷静な判断を最後まで下せなかったということだ。

 

恐ろしい話だが、日本にいる以上、戦争ではなくても「空気」が判断をおかしくさせる事態はあちこちで起こっているはずだ。本書はそんな「空気」に飲まれそうなとき、飲まれていると気付いたときに現状を冷静に理解する一助になるように思う。

 

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))